午前は年内最後の筋トレを行う。奥さんを背中におぶってのスクワットはとても効く。
しばらく家でご飯を食べないので冷蔵庫はほぼ空であるが、なんとかトレーニングのタンパク質は足りた。子供が生まれてからの半年で生活力が上がったなと心から思う。
午後は年越しを過ごす京都の旅館へと向かった。毎年年末は一泊二日で温泉に行くことにしている。
今年は生後半年の娘がいるので、近場の一般的な旅館にお世話になることにした。
場所は錦市場からほど近い、30部屋程度の旅館である。部屋風呂付きの温泉宿も検討したが、部屋食ができる宿はほとんどなく(だいたいは食事処で二部性の食事である。食事時間は選べないことが多い)、周りへの影響と二部性で後の時間になってしまう可能性も考えて今回の宿を選ぶことにした。
例年は一泊20-30万円程度の宿に泊まることにしている(普段はあまり旅行しないので一点集中のモットーのもと)。今回のお宿はそのようなお宿ではない。
具体的な話は除くが、何故か全てが惜しいように感じた。接客への人数のかけ方はこちらの宿の方が多いし、それぞれの方が楽しませようとしてくれるのも伝わるのだが、なんだろうか,,,距離が近すぎるのか?
そうじゃなーーい!!!と思うようなことをされたり、空回り感があるのである。
普段よりよく寝れて翌日のスッキリ度はこちらのお宿が上だったし、疲れのなくなり具合もこちらの方が上。旅の結果としてはこういうお宿の方が良いのかもしれないが、ところどころ感じる違和感故に諸手を挙げて賞賛しきれないのであった。
きっと遊び/余暇は過程が大事なのである。そして仕事は結果を出しにいくものであるが、その道中の過程で友達ができて楽しめることを考えると、仕事も過程を大事にしていく必要があるのかもしれない。
楽しむためには過程が大事。
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