2023/12/12 進化論

日記

心惹かれるもの(美しいもの、凄いもの)の裏には多くのプロセスがある。
進化論について学ぶうえで、このことを強く思うようになった。

目、心臓、オスとメスのあり方なと、あまりに精巧なこれらの仕組みは世代を超えたトライアンドエラーを経て辿り着いた究極の仕組みなのである。

突然変異というトライ、弱者は淘汰されるというエラー。悠久の時間とあまりにもわかりやすい弱肉強食の世界が作りあげたのが、この驚くべき程に洗練された仕組みなのである。

個体レベルで言えば、許されるトライは一回のみで、そのトライ内容は選ぶことができないという非常に理不尽なシステムである。個体としての幸せの追求はそこにはない。そもそも幸せという概念があるのかもわからないが。

目を現代に向けてみよう。
確かに遺伝の差異により、体格や筋力の差はある。
ただ人間社会の弱肉強食は動物の弱肉強食と異なる。人間社会で求められる能力での弱肉強食である。人間社会で求められる能力には多くの種類がある。
動物社会では目が見えなければ敵に食われてしまうが、人間社会では目が見えなくとも他の能力で勝つことができる。
その能力というのは大変洗練されたものとなっている。後ろに数えきれないトライアンドエラーがあるのだ。

ありがたい事に人間社会の能力というのは、一個体のうちで何回もトライアンドエラーを回せるのである。一世代一回、自分の命をもってエラーを証明するような過酷なものではない。これであれば、何故トライアンドエラーを回し続けないでいれようか。
一部のトライはオウムガイの目のように不完全な仕組みで止まるかもしれない。しかし別のトライは我々の目に辿り着く可能性がある。

歩みを止めず頂を目指し続けること、また新たな歩みを続けること。
これが許されている幸福に感謝し、カンストしたといえるまで己を磨き続けることとする。

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